§ 속담 - ことわざ・ハングル 見本号 その1 -

§ 속담 - ことわざ・ハングル -

속담 は、俗談。古くから世俗に伝わる話から出た教訓的な言葉、という意味。つまり「ことわざ」。韓国にも、ことわざはたくさんあります。

が、日本のことわざ、たとえば「風が吹いたら桶屋が儲かる」とか「鰯の頭も信心から」とかいうような、分かったような分からないようなものは、あまり多くありません。

たとえば、「壁に耳あり障子に目あり」。壁に耳がいーっぱいあって、障子の紙の穴からもいーっぱい目が覗いているという、怖いイメージになるのだそうです。

「三つ子の魂百まで」などは、魂っていうのが、三歳の可愛らしい子供のイメージと合わなくて、これまたコワイ。他にも「二階から目薬」って何なのよそれ何の意味があるのよ、とか。

それに比べて韓国のことわざは、素直な喩え話がほとんど。「夜の話はネズミが聞き、昼の話は鳥が聞く」。簡単ですね。「豆を煎るように速い」。まんまです。

でも、韓国語のことわざにも、時々ちょっと難しい、そのまんま解釈すると誤解をまねくものもあります。

そんな韓国のことわざ 속담 を、ひとつずつ取り上げて訳しながら、つっこみどころ満載の日本のことわざと比較しつつ、あれやこれやと解説していきます。

§1. - 가는 날이 장날이다 -

가는 は、 가다 行くの連体形。 날 日。 장날 市。

直訳だと、行く日が市の日だ。

市というのは、蚤の市や野菜市、朝市に八日市に四日市。当地の名産品や掘り出し物、なにやらいいものが売られている、そういうイメージがあります。

ですから、行った日がたまたま市の立つ日だった、いろいろ買い物できて楽しかったなあ、思いがけず収穫の多い一日だった、棚からぼた餅濡れ手に粟、という意味かと思ったら、違うのです。

人に会うためにせっかく出向いていったのに、行き違いになって逢うことができなかった。つまり、期待していたのにその通りに行かなかった、という時に使うのです。

日本語にすると、骨折り損のくたびれもうけ、とまではいかなくても、間が悪かったとか、当てがはずれた、という意味に近い言葉です。

市が立っていると知っていて行けばいいのでしょうが、静かなところで過ごそうと思っていたのに、市が立って人出が多くて騒がしくて疲れちゃったね、ということなのかもしれません。

休日を利用して登山に出かけたら、三万人規模のロックコンサートが開かれていて、うるさいったらありゃしない、散々だったよ、というような状況だと思っていただければいいかと。

でも、それはそれで、普段めったに聴かない曲をしかたなく聴いていたら、いつのまにかファンになってしまった、CDでも買ってみようかしらん、という瓢箪から駒的な考えの方が、人生は楽しいと思いますが。

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§2. - 가는 방망이에 오는 홍두께 -

가는 は、 가다 行くの連体形。 방망이 棒、棍棒。 에 助詞の「〜に」。

오는 は、 오다 来るの連体形。 홍두께 棒、棍棒。特に砧に使う棒のことを言います。

直訳は、行く棍棒に来る砧。

なんのこっちゃ、ですが、 방망이 よりも、 홍두께 の方がかなり太い棍棒なんだ、と思ってください。

こっちが殴った棍棒よりもずっと太い棍棒で殴り返された、という意味。日本のことわざでは売り言葉に買い言葉、くらいでしょうか。逆の意味ならば、肉を切らせて骨を断つ、なんていうのがありますが。

日本では日常に見かけることはない、と言ってもいい砧。棒に布を巻き付けて打ち付け、布の皺を伸ばすもの、と言われてもぴんとこない。

韓国の映画では、時々出てきます。そしてほとんどの場合その砧の棒は、誰かをぶん殴るために使われます。親不孝な息子とかね。

大宮は、日本が刃物で切りまくる文化だとすると、韓国は棒でぶん殴って叩き潰す文化だと思っています。

お料理もそうですね。日本料理は、職人の包丁の冴えがどうのこうのとこだわりますが、韓国料理は、薬味をしっかり混ぜ込んでこそ。

ですから、この 가는 방망이에 오는 홍두께 を、日本風に説明しようとすると、先の孫六が後の村正、というところでしょうか。

あ、これは大宮が、たった今思いつきで作った言葉ですからね。こんなことわざはありませんからね。覚えなくていいですよ。

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§3. - 가랑비에 옷 젖는 줄 모른다 -

가랑비 小雨。とても細かくて弱い雨のことです。小糠雨、霧雨と考えてもいいでしょう。 에 は助詞の「〜に」。この場合は「〜によって」という意味の「で」。 옷 は服。上着も下着も含む、広い意味での服です。

젖는 は 젖다 濡れるの現在連体形。チョンヌンと読むので注意。

줄 は、〜方法、〜すべ、〜こと。 모른다 は、 모르다 知らないの終止形。

直訳すると、小雨で服が濡れることも知らない。

雨で服が濡れてしまっていることに気づかない、という意味です。普通は気づくようなことでも、続けて起こると慣れっこになってしまって、気にも留めなくなってしまう。その結果失敗したり事故が発生したりするのだよ、注意しましょうね。

日本のことわざだと、「蟻の穴から堤も崩れる」というところでしょうか。

小雨は、 가랑비 の他にも言い方があります。

이슬비 小雨、霧雨、煙雨。 이슬 には、露という意味があります。 아침이슬 といえば、朝露。

発音は、アチミスルとなります。歌の題名でもあります。

これは、 아침술 アチムスル 朝酒と、発音がとてもよく似ています。なので、朝酒といえば小原庄助さん、朝寝朝酒朝湯が大好きで、それで身代を潰した、そんな風になってはいけませんよ、という戒めの歌だと勘違い、するわけがないですね。しないでください。韓国には小原庄助さんはいない、と思います、たぶん。

とにかく、 아침이슬 は、そんな歌ではありません。

もうひとつ小雨。 보슬비 小雨、小糠雨。

なぜか、こちら 보슬비 の方が、大人の雰囲気があるそうです。ですから、恋人に振られた人の上に降るのは、 가랑비 ではなく 보슬비 なのです。日本語にしてぴったりなのは、小糠雨。

そういう歌、ありましたね。小糠雨に打たれながら御堂筋を南に歩く、っていう歌。素敵な歌ですが、南に行くと船場や難波、旦那言葉の「さいでっか、そうでんな」が飛び交う街に行ってしまうのですが。

とにかく。 가랑비 と 보슬비 。どちらも小雨ですが、 보슬비 のほうが大人用です。

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§4. - 가루 팔러 가니 바람 불고 , 소금 팔러 가니 비가 온다 -

가루 は、粉。 소금 は、塩。 팔러 の原型は 팔다 売る。 팔러 は売ろうとして。 가니 の原型は、 가다 行く。 가니 は行くのに。

바람 は風。 비 は雨。 불고 の原型は 불다 吹く。 불고 は吹いて。 온다 の原型は 오다 来る。 온다 は基本形。この場合は、降る。

つまり。粉を売りに行こうとすると風が吹き、塩を売りに行こうとすると雨が降る。

なかなか面白い諺ですね。粉は飛んでしまうし塩は濡れて溶けてしまうわけですね。せっかく思い立ったことも間が悪くてどうもうまくいかない、という意味です。日本語だと「泣きっ面に蜂」かなあ。うーん、ちょっと違うかな。

マーフィの法則っていうのがありましたね。物事は何もかも裏目裏目に出るという法則。だからといって布団ひっかぶって寝ているわけにもいきませんしね。

しかし、どうも日本語だと、全部「間が悪い」で済んでしまうような気がするのは、私だけでしょうか。

팔러 가니 は日本語と同じ仕組み。売ろうとして+行くと。結果が思わしくなかった場合に、〜 니 の形はよく使われます。

가루 は、〜粉の意味で、広く使われます。

밀가루 ミルッカル 小麦粉 고춧가루 コチュッカル 粉唐辛子

発音に注意してください。 밀가루 は 밀 と 가루 がくっついてできた言葉なので、間に小さい「つ」が入ります。

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§5. - 가재는 게 편이다 -

가재도 게 편이다 という言い方もあります。

가재 ザリガニ、エビガニ。現在日本にいるザリガニのほとんどはアメリカザリガニ。 게 蟹。よく間違えるのが、 개 犬。 편 がわ、ほう。

つまり。ザリガニは蟹の側だ。

姿が似ているもの、立場が似ているものは、お互いの肩を持つものだ。「肩を持つ」は、こうなります。 편을 들다 側につく。

가재는 게 편이다 と、意味がよく似ているものがこれ。

초록은 동색 草色と緑は同色。

日本語のことわざなら「同じ穴の狢」「類は友を呼ぶ」、それに「割れ鍋に綴じ蓋」。

あんまりいい意味ではないですね。「朱に交われば赤くなる」なんていうのもそれに近い意味があります。「同病相哀れむ」なんていうのも。いずれも、同じレベルの人同士はお互いにかばい合う、という意味です。

同じ年齢、同じ会社、同じ年齢、同じ血液型。いろいろな「同じ」で、人々は結びつきます。

高校時代、やや長めのことわざは短縮して使う決まりになっていました。「類は友を呼ぶ」は「類友」。「捕らぬ狸の皮算用」は「とらたぬ」。かつて、鰯のように固まっている大人を揶揄するために使った言葉が、近頃では自分に向かってくる気がします。

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§6. - 강 건너 볼 구경하듯 한다 -

강 건너 볼구경 という言い方もあります。

강 川。河の漢字読みです。 건너 向こう側。 볼 は、 보다 見るの未来連体形。 구경 見物。 하듯 한다 〜するかのようにする。

つまり。川の向こうの見物をするかのようにする。対岸の火事。大変なことが起こっているのだけれど、自分にはどうしようもないので手をこまねいている、という意味です。

これに似ていますが全く意味が違うのが、他山の石。正式には、他山の石以(もっ)て玉を攻(おさ)むべし。

他の山から出たどうしようもない石でも、自分のところで出た宝石を磨くくらいの役には立つだろう、という意味です。つまり、自分より劣っている人も使いようである、ということ。

なんか、ずいぶんと失礼なことわざですね。こっちにあるのは石ころで、自分の所にあるのは全部宝石だって言いたいのかい。そういうときには、瓦を磨いても玉にはなりませんよ、と、ぼそっと言ってやりましょう。

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§7. - 개구리 올챙이 적 생각 못 한다 -

개구리 蛙。개굴개굴 ケグルケグル ゲロゲロと鳴くので、蛙は 개구리 。 올챙이 おたまじゃくし。 적 (〜の)時、頃(のこと)。 생각 考え、考えること。 못 한다 できない。

つまり。蛙は、おたまじゃくしだった頃のことを考えることができない。

개구리 올챙잇적 생각 못 한다 とも言います。

調子がいいと、昔辛かったことや哀しかったことは忘れてしまうものだ。富めば奢る、という意味。喉元過ぎれば熱さ忘れるよりも、辛い時間は長い感じです。

でも、その「熱さ」は、辛く苦しいことである場合もあれば、人の恩である場合もあります。辛く苦しいことは忘れた方がいいけれど、恩は忘れてはいけません。

喉など、粘膜の細胞は回復が非常に早いのだそうです。熱すぎるものを飲んだとしても、回復は意外と早い。あまり臆病になると、羮に懲りてなますを吹く、ということにもなりかねません。みなさんは、「衣食足りて礼節を知る」線でいきましょうね。

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§ おわりに

いかがでしたか。

もともとは「くるくる・ハングル」のコーナーのひとつだったので、ちょっと駆け足ですが、実際に配信するものはもう少し長くしようと思っています。

無料サンプルはまだ二つありますので、そちらもお楽しみ下さい。

発音記号の表記は、例解新韓日辞典(民衆書林発行 金貞淑編著 発売元 三省堂)に依っています。

参考文献 Idea Dictionary 1 속담 예림당 ISBN 89-87941-62-0