湖・茨城


常磐線は、ときわせん、ではなくて、じょうばんせん、と読む。そんなことも知らない、私は関西人である。

そして、東京より北に行ったのは、茨城県が最高記録である。

たぶん、おそらく、これからも最高記録として君臨し続けるであろう。

さて。じゃあなんでそんな遠くまで行ったのか。

茨城側から説明すると、そこに涸沼という湖があったからである。涸沼のあたりには、「勘十郎堀」という堀の跡がある。その堀は江戸時代のいかさま公共事業の見本のようなものである。

どんな具合にいかさまか。

まず、その堀の工事は全く無茶で、最初から完成のめどの立たないものだった。那珂川の水を引き込んで運河を造ろう、という発想は確かに面白いのだが、土地の高低差や、その周辺の土壌の質などを全く考慮に入れていなかったから、完成しても船を浮かべることさえできなかった。

しかも、その工事のために働いた人々の工賃を踏み倒して平気の平左だった。

そんな工事を強行したのは水戸の藩士ではなく、どこからか流れてきた松波勘十郎という御渡侍だった。大体、「御」がついているとろくなものではないので、その松波もご他聞に漏れずろくでもなかった。藩札を発行しまくっては止める。つまり国債を発行しまくって切り下げるようなことをする、ようなもの。城の周りの松を伐採して売り払おうとする。つまり国有林を無断伐採して私腹を肥やそうとする、ようなもの。

そんなこんなが原因で、水戸の百姓達が大挙して江戸に押し寄せる、という、ちょっとした歴史の本ならわりと載っている、水戸一揆が起こったのである。

けれど、私は水戸の一揆から涸沼を知ったのではない。

兵庫側から説明すると、兵庫県の伊丹市には、「東の芭蕉、西の鬼貫」と、芭蕉と並び称された俳諧師、上島鬼貫がいた。芭蕉も三重県生まれだから関西人だろう、というのは、この際言いっこなし。

鬼貫は、談林派という宗派に属していた。有名なところでは宝井其角。「夕涼み よくぞ男に 生まれけり」が代表的な俳諧。

そんな鬼貫は、酒屋の三男坊に生まれたのに、武士になった。その時代、江戸時代もわりと始めの頃、武士の身分は買えた。株みたいにして買うことができたのである。

買った身分で、鬼貫は武士となった。それが、松波勘十郎と同じ、御渡り侍の身分だった、という訳なのである。

ふたりは決して仲がいいわけではなく、松波は仲間内でも孤立していたようである。けれど松波自身の手記などが残っているわけでなく、一揆に関する資料や、鬼貫が書き残した日記からしか推し量ることはできない。

そんな松波が残した、その名も「勘十郎堀」に、ちょっと興味を引かれた。

そういう訳なのである。

そういう思いつきの旅に、私の方向音痴が加わると、結局目的地にたどり着くことができない、という答えが出る。

涸沼には、なんとか辿り着けた。けれどバスが走っている側ではなく、ろくに人家もないような側を歩き続け、結局タクシーを呼んだ。ちらっと海が見えたが、外海の波の荒さに、そのまま引き返してしまった。

しかも天気がずっと悪くて寒くて、小さな地震まであって、けれども大きな石油ストーブに貼り付いて語り合う地元の女性達の、いかにも関東の人らしい、こんな言葉を聞くことができた。

「そのセーターどこで買ったの」

「西武」

「高かっぺ?」

「いんや、安かっぺ」

勘十郎堀の工事が失敗した原因のひとつに、土壌が砂がちで、堀を掘っても水を吸い込んでしまう、ということがある。

霞ヶ関のあたり、筑波山以外には目立つ山もない。もともと海だったところが隆起したので、平らで砂っぽく、貝の化石なども多く出る。

その貝の化石は、巨人が筑波山に腰掛けて、那珂川の沖まで手を伸ばして捕った貝の食べ残しなのだという民話を、茨城の図書館で読んだ。別に茨城まで行かなくても読めたのだろうが、本当に山のない、やや赤い土の続く道、関西ではまず見られない、天を拝むように鋭い切り妻屋根、がっしりと育った風よけの杉の木を見上げていると、巨人の腕が空を横切っても不思議ではないな、と思う。

乗り継ぎの駅で、あまりにもお腹が空いたので、駅の中にある店で蕎麦を食べた。

関東の、かけ蕎麦である。真っ黒の、たぶん、醤油を湯で溶いただけのダシを、恐ろしく無愛想な初老の女性がかける。

店は駅の陸橋の足下に建っていて、窓には陸橋の階段が斜めに影を落としている。

その階段を上りながら、重そうなルーズソックスの足が、私には東京弁にしか聞こえないアクセントで言った。

「ねえ、蕎麦食べていこうよ」

「嫌だよ、あそこすっげえ汚いって話だよ」

すっげえ汚い店の蕎麦を食べていた馬鹿な客の私は、喉を刺すようなダシを、それでも何とか飲み下した。

帰りの特急には妙に着飾った若者がすし詰めになっていて、みんな示し合わせたように情報雑誌を手にしていて、しかもほとんど会話がなくて、いったいこいつらは何者なんだろう、と考えて、思い至る。

週に一度の東京。

三つの都市がその個性でしのぎを削る関西とは違い、関東では東京が中央として全てをその肩に担っているのだという。私が神戸のセンター街でブラウスや靴を探すように、彼らも渋谷のセンター街で、ファーストフードを囓りながら東京の人間のふりをするのだろう。東京で何が流行っているのか、東京で何が起こっているのか、その目で確かめに行くのだろう。

そういう貪欲さを、私は持たない。関西の都市を、それぞれ使いたいように使い分けて生きている。美術館や季節の散策なら京都、電気機器なら大阪、服や靴を買うのと食事をするのは神戸。

たとえ、どこにいても。街の全てを吸収しようとは思わない。街の色に合わせて体の色を変えようとは思わない。

筑波山に腰を据えていた巨人のように、ちゃっかりと海に手を伸ばし、美味しいところだけ頂いて、生きていきたい。

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