その曲はほとんどイントロもなく、しかもいきなりサビから始まった。

空気が変わる。確かにそのバスは渚に沿って走ってはいたのだが、目的地は恋人達のビーチではない。日本で一番大きな島の南にある研修所。一ヶ月に渡る研修の半ば頃、桜も散りきって気分もだれきった、そんな四月の朝のこと。泊まりがけの研修、つまり休みなし。

気楽な学生生活から半分抜けだし、でもまだ宙ぶらりんな、仮採用中の公務員80人を乗せたバスは、南に走る。

あれは、1982年の春。

その曲は、いつもの彼女の曲らしく、色彩の重なりで季節や心の流れを鮮やかにあらわしていく。作り笑いの彼女のことを誰もが誹ったが、しかし誰もが彼女の髪型を真似るためにカールドライヤーを買った。

缶コーラの赤と、海の蒼を透かした白いサンダル。すっかり濡れてしまったジーンズの青に、力強く夏の光を跳ね返す、まだ日焼けしていない二の腕。

繰り返されるサビの部分を誰かが口ずさみ始め、すぐにそれは合唱になった。オンエアされるのはその日が初めてで、しかし男女を問わず大声で歌っても恥ずかしくない、そんな曲を、彼女はいつも歌っていたように思う。

それからわずか13年の後、未曾有の災厄に見舞われる、その政令指定都市の職員研修は、彼女の歌の大合唱に始まり、カッター競争やらソフトポールやらオリエンテーリングやらの日程を無事に終えた。

松田聖子は、それから離婚やら結婚やらを繰り返し、それでもまだアイドルとしての姿勢を崩してはいない。

昔も今も、私は彼女を好きではない。けれど、ピンクレディが再結成し、彼女たちの映像が流れたとき、彼女たち、アイドル歌手たちがいかに清楚で可憐だったか、そして、そうであったからこそあんなに子供達に人気があったのだ、ということに思い至った。

高橋圭三、という司会者がいた。彼のことも実は、あまり好きではなかった。目が妙に光って、それは人を騙す時の魔女の表情に見えて、信頼できなかった。しかし、彼の言葉を、ピンクレディの二人は心の支えにしてきたのだという。

彼女たちは、眠る時間、食べる時間を削って私たちのために歌ってくれました。その優しさ、その慎ましさを、私たちは知っています。

英語の直訳のような、突き放したような、けれどその言葉を、今なら素直に聞ける。

小泉今日子がおそらく最後のアイドル歌手だろう。歌手は歌うことだけでは生きていけなくなり、歌うことだけでは満足できなくなり、歌うだけでは誰にも覚えてもらえなくなった。

それは落語家が落語をしなくなったのと、似ているようで違う。落語をしない落語家は落語を作らないが、歌手は歌を作る。

そして、歌手から謙虚さは消えた。作れて歌える。作曲家も作詞家もいらない。人の作った歌を解釈する必要はない。ちょっとしたドームなら簡単に押さえられる。地元の手配師に挨拶する必要もなくなった。CDだって自分で作れるし、ネットで販売すればレコード会社もいらない。

それは、漫画と逆の道だ。漫画は、映画並みのアシスタント体制が敷かれ、先生は顔くらいしか書かないのだという。私は漫画をほとんど読まないが、それで漫画家の個性が薄められ、だらだらとただ長く続くだけの漫画が増えたのだ、という人がいた。

歌は、どうだろう。おそらく、一度聞いただけで合唱できるような歌は、今でもあるのだろう。けれどそれはバスの中の空気まで変える程の力強さは持ち得ないと、今の私は思う。老いも若きも好む好まざるとに関わらず知り得る歌は、一人で作って一人で歌う歌としては、少し、荷が重い。

そんな歌は必要ない、とも思う。国民すべてが知っている歌、国民すべてに愛される歌。そんな歌は必要ないとも、思う。あの戦争に負けてから、日本人は「国民すべてが」、という状況を強く畏れるようになり、しかしあの時の高揚感を覚えている人々は美空ひばりという天才の歌声に酔い、しかし妬みと誹りで彼女の人生を破壊した。

彼女のような歌手は、もう出てきて欲しくない。おそらく彼女は自分の人生に満足しているだろうが、彼女と同世代の母親を持つ私は、彼女が自分の強さと誇りに押しつぶされていく姿を、もう二度と見たくない。

時代に殺される歌手を、歌を、二度と出してはならない。国の為の歌を、国を煽るための歌を、私たちは二度と歌ってはならない。

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