ジェニファー

昼のドラマが話題に上った時期があった。80年代の終わり頃だから、もう十五年ほど前になる。

「嵐」シリーズである。

中でも「華の嵐」。戦争に翻弄される人々を波乱に富んだ人生を描いたもの、つまり戦争に行って死んだはずの恋人が生きて帰ってくる、という分かり易いものだけれど、分かり易いだけに演出も派手で台詞も劇的で、なかなか見応えがあった。

ヒロインは高木美保。誇り高き男爵の娘を、格調高く演じきっていた。

いくつか、記憶に残っている台詞がある。時代設定は戦前で、朝倉景清男爵は自由思想の持ち主だというので、国賊の汚名を着せられている。

どやどやっ、と景清の部屋に駆け込んでくる官憲。彼は心臓が悪いので、ベットの中にいるのだ。シーツを握りしめながら官憲に一喝する景清の台詞。

「断りもなく主人の部屋に闖入するとは何事だっ」

ちんにゅう。

柳子の母親役の稲垣美穂子が、柳子の髪をときながら鏡の中で言う台詞。

「この世には二種類の女がいるのです。華族の女と、そうでない女」

そうでない女で悪かったですっ。

天堂一也役の渡辺裕之が景清と津川圭吾役の長塚京三に対峙する場面。

激高し腰の刀に手を掛ける圭吾を引き留める景清。

「津川ーっ」

そうか、名字で止めるのが迫力あるな。

あのドラマが成功したのには、脇役の固さもある。ヒロインの父親の朝倉景清役が高松英郎、ヒロインの恋人と結婚するタカが岩井友見

そしてヒロインと結婚するのが、長塚京三だった。

津川圭吾という役は、繊細で神経質で、長塚京三そのまんまだった。

しかも高木美保は、じゃなくて朝倉柳子は長女なので、名字も朝倉になってしまうのだった。

けれど柳子が本当に愛しているのは一也だというのを思い知って、自殺してしまう。最期の瞬間、彼は林を彷徨いながら、好きだった雲を見上げる。ああ雲はいつも美しい、私を裏切らない。

銃声。空がぐるりと回り、彼は倒れる。

満足げに。

死ぬ場面が美しいのを、私は好きではない。ドラマに人の死はつきものなのだけれど、誰かの人生が終わるというのはそれだけでドラマチックで、それにオンブに抱っこしててどうするんだ、と思う。

しかし、あのシーンはやはり、美しかった。踏みしめられる枯れ葉、枝を握りしめる指には生への執着はない。

この人は美しく死ぬだろう、そう思わせる役者を私はあまり多く知らない。フランスの大学を出て、28歳になってから役者になり、今でもどこか演じることに疑問を残しているような、柔らかくふるえる彼の声は、散る瞬間を切り取るにふさわしく、氷のような刃を光らせていて、今でも私を惹きつける。

でも、つい最近放映されていた、彼が主演していたドラマを、見なかった。

彼には、脇であって欲しいのだ。脇で、きらきらしていて欲しい。

脇で、綺麗に散っていって欲しいのだ。目の端で、しかし確実に存在していて欲しいのだ。モデルなんだか女優なんだかタレントなんだか分からない人と並んで主役なんてしていて欲しくない。

だから、絶対に、バラエティー番組には出て欲しくない。彼の素顔なんて見たくない。普段の生活なんて知りたくない。

でも、コマーシャルで、犬にじゃれつかれて「ジェニファー! 」って言ってるのは、ありかな。

追記。フラバンジェノールもありです。

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