ヤ・フー



このサイトはYahoo! に登録されている。でも、芸術と人文、人文、文学、ジャンルと辿って、やっとのことのエッセイの、ひとつ。ここには二百近くサイトがあるから、ちっとも目立たない。だから、登録されているからといってアクセスが増えた感じなんて、全くしない。

アクセスにあくせくしない、なんていうサイトがあったくらいなもんで、何しろアクセスアクセスの世の中である。サイトを持っていなくてもアクセスアップという言葉は知っていて、だからアクセスアップについてのページを設けると、それでアクセスがアップする。

私も、実はアクセスアップのサイトを回っていたことがあった。最初のうちは、確かに役に立った。検索サービスへの一括登録の方法や、綺麗なヘッダーの書き方、HTMLの書き方のツボなんてものも、そこから学んだ。

たとえば、壁紙を入れても背景の色は指定しなければならない、ということ。

もし壁紙に黒っぽいものを使っていた場合、当然文字は白っぽくすることになる。そこで背景の色を指定しないでいると、何らかの事情で壁紙が表示されなかった場合、ブラウザの背景はそのままだと大抵は白いから、文字が全く見えないということになる。

でも、大抵の場合、HTMLの書き方よりも、コンテンツの充実ということに話の重点が置かれている。コンテンツの充実こそがリピーターを産み、アクセスの向上を産むのだと。

で、そのコンテンツって、何なのか。

contents。大抵は複数だろう。内容。目次。趣旨。つまり、内容の充実こそが重要だ、というのである。

・・・そんなもん、当たり前だろう。

だいたい、内容のないページって、どんななんだ。内容がなくて、趣旨がなくて、目次もついてなくて、どうやってサイトを作れるというのだろう。

それで思い出した。卒業論文がそうだった。書かないと卒業できないけど、どう書いていいか分からないと、友人が言った。

でも、よく聞いてみると、書きたいことがあるのだけれど、あまり長い文章を書くことに慣れていないので、どう書いたら相手に伝わるか迷っている、のではなくて、書くことがなんにもない、書きたいことなんて何にもない、というのである。

パソコン買ったからにはメールしなくちゃ。インターネットしなくちゃ。デジカメ買って写真も撮らなくちゃ。それをホームページにあげなくちゃ。ITしなくちゃ。

そうじゃないだろう。

最近は減ったようだけれど、家族の写真のみならず、住所に電話番号、自宅への地図まで掲載してあるサイトがあって、人事ながらびくびくした。だからといってそれを使って悪いことをするのは、する方がもちろん悪いが、プライバシーというのは、全く縁のない興味もない他人にとっては、一種の暴力でさえある。

これは、年賀状にも似ている。この頃はそれこそ自宅のパソコンで作るのだろうが、写真入りの年賀状。

子供ができて嬉しいのは分かる。分かる。けれども、年賀状が郵便局でどう扱われているか、ご存じだろうか。機械にびしびし通されて、紐でぎりぎり巻かれて、袋にぐいぐい詰められて、車でぶんぶん運ばれるのである。大事な家族写真の一枚が、有象無象のダイレクトメールやら督促状やら不幸の手紙とやらと一緒くたになってしまうのである。

サイトは、丸ごとダウンロードできる。ダウンロードできないようにしていない限り、大抵のブラウザでサイトはダウンロードして、その気になれば加工もできる。

大切な一枚が、有象無象の画像と一緒に勝手にサーバーから引き抜かれてしまう。そんなことはやはり、する方が悪いのだが、決してこの世は善意の民で満ちているわけではない。


それなら何をコンテンツにするか。

簡単だ。テキストだ。

テキストの充実こそが、固定客を産む。毎日訪れて隅々まで読んでくれる、たまに短いけれど誠実なメールを送って下さったりする、そんな優良な読者を集めることができる。しかも、この頃人気急上昇のGoogleという検索サイトでは、テキストを頼りにして探すから、テキストがしっかりしているとそれだけ検索される確率が高くなり、読んでみて気に入ったからお気に入り、にする人の数も増える。

それは、何でもいいから検索されそうな言葉を打ち込む、などというのではもちろんない。そういう隠し事のあるページは、最近のシステムでは検索されないようになっているのだそうな。

それに、本格的にそのサイトに行く前にページの内容をあらかた確認できるようにもなっているから、あんまり変な事ばっかりしていると、検索する前にドメインごと検索対象から外されたりすることもある。そしたら、二度と来てもらえなくなる。

そんな風にならないためには、テキスト主体のすっきりしたページにすることである。

そしてさらに。テキスト中心にすることは、若い人ではなく、中年、あるいはそれ以上の方々にこそ、お勧めしたい。

パソコンを使い始めて最初の頃、初心者のためのメーリングリストに入った。分からないことがあったらメールで質問すると、分かっている人がメールで答えてくれる、というシステムだ。

初心者のため、と銘打ってあるので、様々な年齢の人々が参加している。

そこで、気づいた。ある年齢の人々の文章に、とてもはっきりした特徴があることに。

子供がやたらタメ口をきいたり、無理に汚い言葉を使ったり、絵文字を使ったり(笑)とか(爆)とか乱発するのは、別に珍しくもないし、そういうのは特徴とは言わない。団塊の世代が言い訳臭かったり、中年の女性の文章に・・・がとても多いのも、珍しいことではないし面白くも何ともない。

30代の、おそらく仕事を持っているだろう人々の文章が一番落ち着いていて、読みやすい。文法の間違いもほとんどないし、あらゆる年齢の人々に対しての礼儀をわきまえている。でも、時々、その冷静さが鼻につくことがある。

面白いのは、70代前後の人々の文章である。

彼らは、インターネットの世界では希少価値である。機械に対して強い猜疑心を持っておられる方が多いし、大体、団塊の世代のようには数が多くない。

けれど、その文章は燦然と光り輝いて、その個性を主張する。

彼らは、私のように戦後の国語教育をどっぷり受けた人間は決して使わない言い回しを使う。

たとえば、引用するとき。

「鈴木さんが『うちの電話、調子悪くってね』と言っていました。だったら早く買い換えればいいのに。」という文章を、私なら「鈴木が言うには、うちの電話調子悪くてさ。だったらとっとと買い換えれば済むのにさ。」とか、「これは鈴木の台詞なのだが、『うちの電話調子悪いねん』。だったらごちゃごちゃ言ってないで早く買いな。」となる。

しかし、彼らはこう書く。

「鈴木氏が 我が家の電話は調子が悪い とのこと。それでは不都合が多いだろうから 早急に購入するようにとアドバァイスする。」

突き放しているのか丁寧なんだかよく分からないが、この「とのこと」の持つ微妙で繊細な距離感は、どうだ。

他にもある。副詞がやたらとカタカナになるのだ。私たち戦後世代は、カタカナは外来語、と決めつけて読んでいるから、「友人には その旨キチンと説明致しました」とか「配線の都合でチョット手間取った故」などとやられると、なんでここでキッチンの話が出てくるの、と思ってしまうのである。

体言止めも多いし、句読点もあまり使わない。明らかな文法の間違いが時々あるし、同じ文章の中で主語が変わっていたりもする。実はその上、誤字も多い。

しかし。

そのメーリングリストはWindows中心で、実はほとんど意味がないにもかかわらず脱会しないのは、彼らの文章を楽しみにしているからなのである。

最初は、ああ、年寄り臭い、と思っていた。何しろ読みにくいから、小さなメールでも内容を理解するのに普通の倍以上かかる。初心者だから仕方ないとしても、一つの事項を解決するのに何回も何回もメールのやり取りが繰り返されることがあった。私はWindowsに関しての知識はほとんどゼロなので見ているだけなのだが、こりゃあ答える方も大変だなあ、と、同情していたりした。

でも気が付いたら、彼らの投稿が楽しみになっていた。しばらく投稿がないと、どうしたのかなあ、お体の具合でも悪いのかしらん、と思ったりした。

彼らの独特の、手触りさえ感じられるような柔らかい不思議な言い回し。もちろんとても紳士的な態度。ちょっと変わった、時々死語も混ざる文法。その他諸々の魅力に、惹きつけられてしまったのである。

読みやすい文章だけがいい文章ではない。誤字が少しくらいあったって、前後の関係で理解すればいい。

文章の魅力と文法の正確さは、実はあまり関係がない。まったく事務的ではないけれど暖かみのある、人間的なテキストにあふれた、そんなサイトがあれば。

きっと、あっという間に大人気になるだろう。

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