またまた・マガジン



マガジンの発刊も、なんだかんだで60刊を越えた。週刊だから、一年以上続いていることになる。よくまあ続いていると、自分でも思う。

だから、調子に乗ってプレミアムまで出してしまった。

これはまぐまぐのシステムで、有料メルマガである。なんと、お金をいただいてしまうのである。いいのだろうか。月に百円とはいえ、人様にお金を頂くのである。

いいのだろうか、本当に。

私の母の実家は商家だが、私自身は商売をしたことはない。必ず間に何らかの組織が介在していて、私の書いたものを読者に直接買ってもらったことは、一度もない。

何らかの組織に、見る目があるといっているわけではない。ないことの方が多い。だからこそ私の書いたものも、文章として形になってさえいればそこそこのお金になることもあったのだが、今度は違う。

読んでもらう人に、直接買ってもらうのである。

不特定多数の読者が、相手なのである。

いいのだろうか。

組織でない個人のレベルは、計りようがない。限りなく高くもあり、限りなく低くもある。そして、わざわざ私のメルマガのような地味な読み物を選択する人々は、読む力が恐ろしく高い可能性がある。

けれど、有料となると、全くその逆ということもあり得る。ただ有料のメルマガが珍しいから適当に買っただけだよ時流に乗ってみただけだよ、ということもある。

これまでに無料のメルマガを読んでメールを下さった読者は、幸いなことに、皆前者だった。とても礼儀正しく、的確な感想をいただけた。

それは、有料になっても続くのだろうか。


自信がないのではない。ないわけがない。なかったら書かない。そんな無責任なことはしない。

ただ、ぶっちゃけた話、面倒くさいのである。

まぐまぐプレミアムに掲載されてから、アクセスが増えた。どかっ、というほどではないが、いつもは一日に二、三件だったのが、十になっていた。ほとんどまぐまぐからのアクセスだった。

でも、私が本当に嬉しいのは、検索を辿って来てくれた読者である。蘆雪とか蕭白とか若冲とか、江戸時代とか難波とか近世とかで私を見つけてくれた人々なのである。この人は蘆雪好きなのかなあ、少しでもお役に立てたかなあ、とあれこれ想像するのが、とても楽しいのである。

小泉首相のおかげでメルマガが有名になって、だからまぐまぐを覗いてみたらプレミアムが始まっていて、ふーんなんだこんなものか、写真もないし動かないし掲示板もないしつまらないや、という人々には、別に来て欲しくはないのである。

と言ってしまうと実も蓋もないし、本来、どんな人にも自由に読んでもらえるのがメルマガのいいところなのである。インターネットの利点なのである。

それでも、こんな地味なサイトにブックマークしてくれている読者にこそ、私は感謝の気持ちを捧げたい。メルマガが流行っているから、まぐまぐが飛ばしているから、ではなく、私の書いたものを楽しみにして、読みに来てくれている読者に。

だからこそ、そんな奇特な読者からお金を頂いてしまっていいのか、と思うのである。

有料のを出しておいて、何を今更ガタガタと。まったくだ。こんなことを言うのなら、初めから有料になんてしなくていいのである。

自分の書いたものに価値がないといっているのでは、当然だが、ない。資本主義社会では生きていくためにお金が必要だし、お金はすなわち労働力、労働力とはすなわち時間である。私の時間には、労働と見なされるだけの価値がある。

私は書くことそれ自体はとても早くて、あまり時間を掛けていないように見える。が、書き出すまでに掛けている時間は、私自身にも見えないほど膨大なものがある。そして、そんな風にして書き続けていくためには、生き続けていくための収入が、どうしても必要である。

手先が器用でスポーツ以外のことは大抵こなせる私は、実は人間が器用ではない。他の仕事をしながら書き続けることが、ついにできなかった。公務員すら続かなかった。

だから、書いたもので収入を得ながら生きていくのが、私にはもっともふさわしいやり方なのである。そうして書き続けていくことで、もっともっといいものがどんどん書ける、そういう書き手なのであると、自分でも思うのだ。

でも、それでもまだ、思う。

本当に、私の書いたものを気に入って、面白がって読んでいただける方にだけ、読んで欲しい。評価しろと言うのではない。おかしな点があればどんどん批評していただきたい。

けれど江戸時代になど興味がないし、人の書いたものにも興味はないけれど、流行ってるみたいだから買ってやったぜ、なら、買っても仕方ない。他のマガジンを選んでください。

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