あるもの


学校にあるものは何か。

教室、机、椅子、黒板。雑巾にバケツに箒に掃除当番。下駄箱に傘立てに足ふきマット。

けれど、それなら普通の会社にもある。

それがなければ学校ではないというものは、何か。

生徒と先生。

私は親類に教師がごろごろいるせいか、教師に対する評価が厳しいところがある。ああこの程度か、とすぐに見切りをつけてしまうところがある。

だから、見切りをつけた先生は、ほとんど印象に残らない。それが担任だったりするとちょっときついのだが、それでも何とかやり過ごしてきた。

そうやって、私は大人になっていったのだと思う。

学校は、大人の見本市である。社会に出て出会うであろう、有象無象の大人たち。何らかの権力を持たされているのに、ちっともそれにはふさわしくない、大人たち。

そういう大人にはならないようにしようね、の見本市なのである。

それでも、印象に残る先生、つまりは先生の話も、ないではない。

たとえば小学校。まだ半分赤ん坊だから、先生にはお守りをして貰っていたようなものだし、高学年になってからも私は一日の半分を空想と想像に耽って過ごしていたから、印象に残ることは多くない。

ただひとつ、朝礼の時の校長先生の話に、今でも覚えているのがひとつだけある。

アイドルの運動会が全盛で、今よりずっとアイドルは現実から乖離した存在で、長髪の男や濃い化粧の女は見せ物だった。そんなアイドルが飛んで跳ねて走る運動会を、校長先生はテレビで見たのだそうである。

先生は、こう告白した。マイクのような軽いものを持ってちゃらちゃらしている人間が、まともに走ったりできるものか、と思いながら見ていた。けれど、その中の一人(たぶん西城秀樹)が、走り高跳びで二メートル、軽々と跳んだ。私は、学生時代には二メートル跳べなかった。

よく考えてみれば、何時間も歌い続け踊り続け、しかも微笑みを絶やさずにいることは、超人的な体力を必要とすることである。不断の努力の必要なことである。物事の表面だけ見て、その人を判断してはいけないなと、反省したのだそうである。

校長先生にも学生時代があったというのがまずは驚きだったが、自分の偏見を素直に告白したというのに、ちょっと感動してしまった。実のところ、先生の名前も顔も全く覚えていないし、六年間、毎週月曜日には必ず聞いていた話のうち、たったひとつしか覚えていないという私もひどいけれども、これで校長先生というものをちょっと見直したのだった。

中学時代は、もとより記憶らしい記憶がない。深夜ラジオを聴く習慣が付いていて、昼間は半分寝ていたせいかもしれない。部活動の友人に「あんたは惰性で部活やってる」などというお叱りを受けたことくらいで、他はあんまり何と言うこともない。一年の時の担任が大学出たての若い先生で、他の先生をどのくらい尊敬しているか妙に熱く語る人だった、ということくらいだろうか。

高校も、ラジオは聴かなかったが寝坊助なのは相変わらずで、しかも学校というものにかなり飽きが来ていた。それでもぽつぽつ、名台詞はあった。数学の先生。数学の答案は数学を全く知らない人に丁寧に説明するつもりで書きなさい。物理の先生。物理や数学は世界共通言語。地理の先生。君らはどうして友達に対してそんなに冷めているんだ。倫理の先生。遅刻することは、友達を一度に四十人待たせることになるんだよ。

そういう先生は教育委員会に引き抜かれたり退職後も研究を続けたりしているようで、新聞で名前を見つけたりする。

大学はあんまり行ってないけれど、決め台詞として「有機的につながってるんだよ」(しかも江戸っ子弁で)というのが流行っていたようで、生物の先生と近世文学の先生が使っていた。

教職が聖職だったという時代を、私は知らない。小学校の時、でもしか教師という言葉が流行った。教師にでも、教師にしか。師範学校の頃の教師は優秀だったと言うが、その教師が育成した学生はでもしかになって、学校は崩壊してしまった。

先生の責任だという声が、もちろん大きい。けれど、生徒もよくない。

生徒が、生徒らしくない。

先生の言うことをそのまま信じ込む、というのではない。先生にも先生の立場があるのだから、それらを鑑みつつ、一人前の人間としてつきあってやるのだ。

授業中は静かにする、宿題もする、質問されて分かったら迅速に簡潔に答える、つまらない冗談にも綺麗なつっこみを入れてフォローする、学校には酒煙草は持ち込まない。今の生徒にはなかなか大変だろうが、それが生徒としての礼儀である。立派な生徒らしい生徒である。

先生が最初から先生らしいことは、あまりない。立派な生徒に出会えて初めて、先生は先生になれるのだ。

いい授業は、先生が作ってくれるのではない。生徒が作るのだ。学ぶ態度は先生に押しつけられるものではなく、生徒が生徒であるなら、ありたいなら、最初から持っているべきものなのだ。

それを持てないなら、学校に行っても仕方ない。

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