とるもの


写真は嫌いである。

もちろんカメラは持っていないし、撮られる側になるのも嫌いである。プリクラはもちろん、証明写真もなるべくなら避けたい。

しかし、何でこうも写真嫌いなのか。

写真に格別に悪い思い出があるわけではない。私が子供の頃にはまだビデオはなくて、カラーフィルムも珍しいほどだった。父が持っていたカメラは重く大きくて、テレビと同じくらいの値段だったと思う。

そのカメラ自体が嫌いだったわけではない。叔父に教わって、星の写真を撮ったことがある。カメラを三脚に固定し、レンズを空に向け、シャッターを開いたままにしておくと、星の奇跡がコンパスで描いたように白く残るのだ。なかなか面白かったが、夜空の星が写るようなフィルムは買うだけで小遣いが吹っ飛ぶし、いちいち現像して貰うのも面倒だった。

好きな写真がないわけでもない。今は工場の群の下に消えた砂浜、父と私が手をつないで海に入っていくのを、後ろから撮った写真がある。私はそのころ気に入っていた桃色の麦わら帽子に黄色い水着、浮き袋をしっかりと小脇に抱えている。父は短いがよく筋肉のついた足で水を蹴り上げている。父は三十になったばかり、私はたぶん二歳か。

上の妹と一緒に写っているのもある。近所の神社に、なまはげが来た。東北地方ではないからなまはげではないのかも知れないが、とにかく、なまはげのような姿の、蓑を背負って大きな面の鬼が来ていた。確か、赤いのと青いのだったと思う。写真右側の私は、こんな西の田舎にもなまはげが来るのだ、すごいぞ、と好奇心むき出しで目をぎらぎら輝かせて右を向いていて、左の妹は恐怖で半べそをかきながら、それでもしっかり顔を上げて左を向いて、いつも赤い頬をさらに赤くしている。

下の妹を撮ったものもある。彼女の場合は生まれたときからカラーで、お向かいの家の階段に腰掛けて一休みしたところを撮られている。髪がとても豊かだった妹は、小熊のようなもこもこの頭をしていた。赤ん坊特有の関節から柔らかい肉がもりもりと盛り上がっている脛は、すでに将来の脚長を約束していた。

不思議な写真もある。母が私を抱いているのだが、どうもシャッターを切った瞬間に撮り手が動いたか何かしたらしくて、手前の画面が流れている。背景が暗いので、母と私が浮きあがっていて、なんだか絵画的でもある。

だが、大きくなってからの写真で気に入っているものは、ないといってもいい。

小さな頃は、そのまま撮られていればよかった。格好を付ける必要も、ましてや笑う必要もなかった。

けれど、小学校の高学年あたりから、格好をつけなければならなくなった。並ばなければならなくなった。遊んでいても中断して、黙って大人しく、「にっこり笑って、楽しそうに」などという撮り手の一方的な要求を聞かなければならなくなった。

そして、写真が嫌いになった。

けれど、嫌い嫌いばかり言ってもいられなくなった。

まぐまぐプレミアムで、プロフィールに掲載する写真が必要になった。空欄のままにしてもよかったが、それだとなんだか存在感がなくなる気がした。別に読者に親近感を持って貰いたいわけではないが、写真の一つも掲載できない気の弱いやつ、では、私はないのである。

といって、気に入りの手持ちの写真があるわけでもない。

どうするか。

友人が、携帯電話にくっつけて使う小さい小さいカメラを持っていた。本当に小さい。ちょうど目薬くらいの大きさで、解像度も十万画素とやらで、はっきり写らない。誰だか分からない。好都合である。

かくして、真昼の撮影会が決行された。

できあがった写真は、以下の通りである。

ufo スカイフイッシュだ

shi Born to be wild

shi 何やて?

要するに私は、自分で自分の格好を決められないのが嫌だったのだ。どれが気に入ったか決められず、どれもこれも現像されてばらまかれて、大して親しくもない人の手に渡ってしまうのが嫌だったのだ。

写真が嫌いなのではなかった。

自分の撮りたいように撮れないのが、撮った物を選べないのが、嫌だったのだ。

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