こるもの


趣味らしいものは、あまりない。

食べることは好きだが、古今東西の旨いものを集めまくる、という程ではないし、料理も気が向かなければラーメンすら煮ようとしない。

酒も嫌いではないが、週に一度くらいでいい。友人達と夕方の五時から始めて次の日の朝の五時まで、ということも、しなくなった。

スチールの本棚に突っ張り棒を噛ませてカーテンを吊った、にわか造りの酒棚(実はけっこう気に入っている)には、自家製梅酒にウィスキー、ウオッカにワイン、小袋入りで便利な山海の珍味まで並んでいるのだが、入れ代わりはさほど激しくない。

そういえば、かの韓国の大統領もおっしゃっていた。健康の秘けつは多動少食だと。大統領ならぬ私は少動なのだから、もっと少食でなければならない。

・・・とかなんとか言いながら、凝っているものがある。

焼酎のお湯割りセットである。

お勧めの店があるのだ、と友人が連れて行ってくれた和風の店に、それはあった。

店は和風だが、ぴりっとエスニック風のポテトフライもあり、けれど湯豆腐やおでんもある。店内は適度に暗く、しかし天井が高いので広々として静かで清潔、ゆったりと広めのテーブルに座らせてくれる。

店員はきびきびと気持ちよく働き、食べ物が出てくるのも早い。

そんな店に、それはあった。

小振りのお盆に、ずんぐりと丸っこいステンレスのポット。それにはたっぷりお湯が入っている。焼酎は、やや大振りの備前焼のマグカップの、口のところを鳥のようにきゅっと摘んだやつに入っている。小鉢には、レモンと酢橘と梅干し。お湯割りを作って飲むカップも備前焼。

最初にそれを頼んだのは私だったのだが、結局全員が頼んだ。二度目に行った時には、コップだけ人数分用意してもらい、お湯と焼酎を足りなければ注文する形にしてもらった。

嬉しかった。

あんまり嬉しかったので、真似して家でもやってみた。

ポットはあった。和風の、背の低いのが戸棚の奥から出てきた。店のものよりかなり大きいが、柄も和風になっていて、悪くない。

備前焼のカップもあった。ビール用に買ったのだが、ひさしぶりの登場だ。小鉢もちょうどいいのがある。酢橘はないが、レモンと梅干し。盆もある。

だが。

やや大振りの備前焼のマグカップの、口のところを鳥のようにきゅっと摘んだやつ、が、ない。

ガラスでは間抜けである。ハーブティ用の小さいポットは、大きさはいいが柄が合わない。急須では洗いにくそうだし、ただの大きめのコップでは垂れそうだ。

結局、瓶をそのまま置くことにした。緑の瓶はそれはそれで綺麗なのだが、盆に乗らない。

これで十分だと家人は言うのだが、私は満足できなかった。

たったひとつ。

口のところを鳥のようにきゅっと摘んだやつ。

探してみた。あった。店に合ったのと同じやつ。

けれど、それはセットになっていた。摘んだやつだけ買うと、セットを壊してしまうことになる。飲むカップはたくさんある。カードの景品でいいのがあって、5つも来たのだ、色違いのが。だから、セットを買ってしまうと、飲むコップが余る。

探してみた。あった。形と大きさはぴったり。けれどガラス。がっちりしていればいいのだが、とても薄くて繊細な感じがする。焼酎のお湯割りには合わない。

探してみた。あった。備前焼。少し大きいけれど、色もいい。けれど1万円する。

探してみた。まだない。意外と、探してみると、ないものである。


けれど、ないことを、私は楽しんでいる。

なくても、どうにかなるもの。というより、なくても決して困らないもの。それを、外出のついでにふっと探してみる。

妥協すれば、手に入るかも知れないもの。徹底的に探せば、おそらく見つかるだろうもの。

けれど、私はどちらも選ばない。

こういうことがあった。

ある本を探していた。レコードの解説の文章に惚れ込んで、彼女の書いた小説を探した。絶版だった。

探した。本に詳しい友人に、古本屋にあるかも知れないから心に留めておいてくれと頼んだ。

けれど見つからなかった。

ずいぶん前に絶版になったし、もう見つからないかな、と諦めかけた時。旅行先、偶然見つけた古本屋の店先に、その本はあった。

焼き物だから、自分で作ればいいのかも知れない。けれど、私はそうしない。したくない。

お湯割りセットに出会ったのが偶然であったように、摘んだやつに出会える偶然も、ある。

きっと、ある。

それを待ちながら、お湯割りに合うつまみを考えるのが、今は楽しいのである。

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