紫の上


1行め 茄子を食べたい大きさに切る。

2行め フライパンに油を引き、茄子を炒め、醤油、味醂を加え、鰹節をぱっと入れて、火を止める。

3行め 小鉢にそれっぽく盛り、胡麻をふる。

これは、どんな野菜にも応用できる。蓮根なんかも美味しいし、牛蒡でも良い。なんだっていいのである。油に合う野菜なら。

それっぽく盛る、というのは、真ん中を高くして盛る、ということである。器の縁の高さより少し低いぐらいがいい。

ただし。味醂は外さないで欲しい。酒と砂糖でも良いのかも知れないが、やっぱり味醂。味醂を使った方が、料理をした、という満足感が得られるのである。

それは、他のことにも当てはまる。

例えばカレー。ルーから作る、などということは、面倒だしガス代もかさむので、もちろんやらない。けれども、仕上げのスパイスは決めている。クローブとオールスパイスは当然だ。そして、シナモンを心持ち多めに入れるのが好き。

例えば煮物。特に、暖め直しの煮物は、何だか味がぼけていて、かといって醤油を足したのでは辛くなってしまう。そんな時には、七味唐辛子。ちょっと振りかけるだけで味が引き締まり、しかも香りが立つ。

例えばサラダ。市販のドレッシングは最初から最後まで同じ味だし、最後の方になるとどうしても油が傷んで臭くなるので、ほとんど使わない。ドレッシングは新しい油に適当に酢と胡椒と塩、が基本で、フォークでざざっと混ぜたらできあがり。けれど、もうちょっと刺激が欲しいなあ、というときには、ニンニクのパウダーがあると便利。唐辛子と同じで、さっと香りが立つ。そして、生ニンニクほど臭いが残らない。

ぱぱっ、とふる時。何だか、料理に魔法をかけているようだ。実際に中世の西洋では、ハーブや薬の調合の知識を持つ女性を、魔女だといって恐れたという。

魔女だというのも、あながち外れてはいないのかも知れない。料理の巧い人は、包丁さばきなどの他にも、香りや塩加減を操るのが巧い。火の加減も巧い。どれとどれを組み合わせればいいのか、人に教えられなくても、分かっているのだから。 

魔女ならぬ私は、最終的にはスパイスの力を借りる。トマトにはオレガノ、挽肉料理やポテトサラダにはナツメグ、牛乳を使う料理にはタイム、という知識も、自分で発見したわけではない。スパイスのラベルに書いてあるのを読んで覚えたのだ。 

スパイスのために戦争が起こったというのは、知識でもあるし納得もできる。香辛料を加えると肉が長持ちする。けれど、ただそれだけではない。スパイスは、肉の臭みを消して、それまでにはなかった物にしてしまった。スパイスは、ただの焼いた肉を、料理にした。食べるということの意味まで、変えてしまった。

やっぱりそれは、魔法なのだと思う。火で焙っただけでは得られなかったもの。ただ発酵させるだけでは得られなかったもの。

食欲を満たすだけの行為だったものが、料理という文化になった。 

それは、ただ寒いからまとっていただけの服が、デザインや機能の多様化によって服飾文化を創り上げたり、雨風を凌げば良かっただけだった住居が、建築技術の向上によって住まいになったりしたことと、よく似ている。

そう考えてみると、魔法というのは、実は結構生活と密着したものなのかも知れない。

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