文字。

日本に生まれると、最初に覚える文字は大抵の場合ひらがな、ということになります。

その例に漏れず、私も平仮名を覚えるための積み木を持っていました。

持っていましたと言っても、もちろんそれは親が買ってくれたもので、5センチくらいの正方形、一センチくらいの厚さの木の板に、平仮名と、それに関連した絵が描かれているものでした。

最近の積み木の色はとても鮮やかですが、私が生まれたのは昭和三十九年。その頃の色は、絵本でもチラシでも、新しいうちからくすんでいて、新しいはずなのに古い色をしていました。

その積み木を畳の上に、あたさたなはまやらわ、と並べていくのが好きでした。いきしちにひみいりい、うくすつぬふむうるう、えけせてねへめえれえ、おこそとのほもよろを。

それは呪文のように、「あ」で始まっては終わり、「を」で終わっては始まります。

繰り返し並べ並べて、どの文字から初めても並べられるようになって、ふと、気づきました。

たとな。

「た」と「な」には共通点があります。左肩にバッテンが付いているのです。バッテンを取ると、「こ」と「よ」になります。

ということは、「た」と「こ」、「な」と「よ」は兄弟で、「たこ」は「ここ」の親戚で、「なよ」は「よよ」の親戚だな。

もちろん、その積み木には平仮名の成り立ちは書かれていませんで、字母のことは知りませんでした。

ですから、「た」の字母は「太」、「こ」の字母は「己」、「な」の字母は「奈」、「よ」の字母は「与」なんてことも知るはずもなく、たこはここ、なよはよよ、と一人で思いこんで、遊んでいました。

そのわりには、「た」と「な」をまだ上手くかき分けることが出来ませんでした。「た」は蛸のた、「な」は茄子のな。分かってはいるのですが、たこと書いたつもりがなこになったり、なすと書いたつもりがたすになってたり。

しかし、負けず嫌いは生まれつきです。

どうしてたこは、なこでは駄目なのか。

私がたこというつもりで書いているのだから、これは見た目は「なこ」だけれども、実は「たこ」なのだ。字を書いたのも私、たこだと思いながら書いたのも私。だからこれは、断固として「たこ」なのだ。

その時。

そうなのだ、と鼻息荒く一人怪気炎を上げた、幼児というより赤ん坊だった私は、ふっと思いました。

でも、Mちゃんが「なこ」って書いたら、それは「なこ」だな。

幼なじみのMちゃんは、同級生でしたが、3月生の私よりもずっと大人びていて、困ったときにはMちゃんのお行儀を見習えばいいや、と決めていた、まだ狭い世の中の、指針のような存在でした。

「たす」って書いたら、やっぱりそれは「たす」だ。Mちゃんがどんなにそれは「なす」だと強調しても、それはどう見ても「たす」だ。

それと同じように、私がどんなに強調しても、「たす」は「たす」だし、「なこ」は「なこ」でしかない。それは「たこ」だと主張しても、今のような子供のうちなら分かって貰えるとしても、大人になったらそうはいかない。

人に、「たこ」だと思って貰いたかったら、たこと書くしかない。

いや、そうじゃない。

たこは、たこなのだ。

全ての人にそれを蛸だと伝えるために、たこという言葉があるのだ。

世界中の人が蛸を知るために、たこという言葉があるのだ。

その頃はまだ外国語というものを知りませんで、「たこ」は世界中で通用すると思っていましたから、私はこう思いました。

そうか。たこは、蛸のためにあるのだ。私にも名前が付いているように、Mちゃんにも名前が付いているように、たこは、蛸なのだ。

蛸をたこだというのは、世界中の人々と交わされた約束なのだ。私が私の名前で呼ばれたら返事をするように、蛸はたこと呼ばれたら、墨を吐いて返事をするのだ。

でも。茄子はどうやって返事をするのだろう。だいたい、何もかもが呼ぶたびに返事したら、うるさくって仕方ないや。

自己矛盾に陥った私は、しばらく考えるのをやめることにして、麻雀のパイを交ぜるようにして、積み木をガラガラと混ぜました。混ぜているうちに、茄子の返事のことは忘れてしまいました。

   炬燵には いかにあたるぞ 蛸の足        洒堂


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いかがでしたか。一番長いひらがなは「ぬ」だそうです。短いのは「へ」。へー。

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