十。

十と言えば、松波勘十郎です。国会で水かけた人じゃありません。

あの水戸藩の一揆を誘発されたとされる、御渡侍の一人です。

御渡侍。おわたりざむらい。なんだかとっても、悪い響きですね。

そうです。特定の藩に務めるのではなく、あちらこちらの藩に出入りして経済を立て直す、江戸時代の経営コンサルタントのようなものです。

コンサルタントと言っても、実際のところは借金のカタのようなものでした。松波勘十郎の場合、将軍の遠い遠い親戚に当たるのだそうで、つまりは厄介者のお坊ちゃんを雇って貰う代わりにお金出します、なのでした。

裏口入学とか、父親の会社の役員になる道楽息子を想像しましょう。

それでも、大学では一生懸命勉強したり、最終的には独立して立派に会社をもり立てたり、するならばよいでしょう。

けれど松波勘十郎は、全くその逆を行きました。

完成するはずのない工事を無理矢理完成させたふりをして、農民を重労働にこき使う、しかも工事代金を踏み倒す、お城を守っている松並木を切り倒そうとする、藩札を発行しまくる。

反発。

当然、農民だけでなく、他の藩士からも猛烈な反感を買います。

そして、水戸藩から江戸に上って直訴するという、大規模な一揆が実行に移されます。

といっても、そこはやはり封建時代。農民が大勢で直訴することはもちろん、直接江戸城に向かうことなどはもってのほか、極刑に処されても文句は言えませんでした。

それでも農民達が立ち上がったのは、自分たちの生活を守ることももちろんでしたが、水戸藩という、誇り高き御三家のひとつを主に持つというプライドを守るためでもあったでしょう。

ですから、松波勘十郎は、父親共々捕らえられて獄死しますが、一揆を起こした農民側が多数処刑された記録というのは残っていないのだそうです。

江戸に、ほど近い水戸。一揆が起こりそうだという情報は、とっくに江戸に伝わっていたでしょう。

それなのに農民達が処罰されなかったのは、水戸藩の藩士達の、やりどころない思いをも、代弁していたからかも知れません。

代弁は。

特にインターネットが普及しだしてからは、誰もが自分の意見を直接言えるようになった、ような部分もあります。新聞や雑誌への投書なら採用されても編集されますし、時間差も生じます。

けれど、リアルタイムに交わされる言葉に、何かを代弁するほどの重みはありません。何でもない日常と個人の事情、狭い年齢層での情報の読み直しと、妙なへつらいと媚笑い。(笑)

私たちが上るべき都は、どこにあるのでしょうか。

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いかがでしたか。

有料のマガジンを月に4本発行しようとすると、どうしてもこのマガジンを発行する頻度が低くなってしまいます。

廃刊しようかしら、とも思ったのですが、初めて作ったメルマガですし、なんだかんだで三年近く続いているわけで、愛着もあります。

というわけで、週刊発行を、隔週刊発行にします。といっても、内容が変わるわけではありませんし、もしかしたら月に三回出るかも。

ということで、今後ともよろしくおつきあい願います。

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