八。

八はめでたい数字。末広がりとは八の姿をもって末永く栄えることを意味する言葉ですし、八百八町、八百八橋といえば都会の代名詞。八十八夜を過ぎれば気候も安定し、霜の心配もなくなります。八十八カ所お参りすれば御利益もあります。

八の字は垂れ下がった眉毛にも似て、なんとなくのんびりした感じがある。当たるも八卦、当たらぬも八卦。八朔は夏蜜柑の友達、分厚い皮に爪を立てると、ぴゅっと果汁が飛んできます。

近江八景金沢八景。観光シーズンになると、必ず眼にする漢数字と言えば八、なのでは。

格好のいいこと、少々軽薄なことにも使われます。八頭身美人、口八丁手八丁。

八は、はちが、はっ、と促音便化するので、威勢のいい感じがするのでしょう。あれこれと慣用句の多い数字です。

すべてではない。

ただし、全ていい意味ばかりではありません。

八方、という言葉を辞書で引いてみましょう。八方美人。決して誉め言葉ではありません。八方破れ。どうしようもありません。八方塞がり。これもまたどうしようもない。

八方とは、東西南北、全ての方角をいいます。東南東や北北西なども入れれば十二方なのですが、四方八方手を尽くす、と言えば、全て含みます。

七と組み合わせると、さらにやりきれないものになります。七転八倒、七転び八起き。字は似ていますが、かなり意味は違います。七転八倒はもだえ苦しむこと、七転び八起きは転んでも転んでも起きあがること。七回もこけるんですか。痛いです。

どうも、八というのは限りなく続く、という意味合いを含むらしい。

徳川家康が江戸城に入ったのは八朔の日であるというのは有名な話。

彼は白装束、つまり死に装束に身を固め、半分水没している城の真ん中に立ち、天下の統一を心に誓ったのだといいます。

永遠ではありませんでしたが、徳川幕府という紛れもない軍事政権であるにもかかわらず、三百年近くの平和は、江戸を世界一の都市にしました。

家康が望んだのは、平和だったでしょうか。四百年の昔の人々の、しかも闘いを生業とする武士が思う平和を、私は想像し難い。

ただ、幸運にというべきか偶然にもというべきか、その三百年の間、近隣諸国も比較的平和でした。大国中国は当時明と呼ばれ、貿易も盛んになされました。朝鮮半島では臣民の暮らしを向上させるための文字が作られていました。

江戸時代の平和を、奇跡だという人もいます。それはある意味では当たっているかも知れません。せっかく江戸城は無血開城されたというのに、明治以降の五十年間、この国で戦火の止むことはありませんでした。

これから。

そして五十年。ソビエトは崩壊し、冷戦は終結しました。中国は経済発展を続け、韓国はIMF危機を乗り越えました。日本はバブル崩壊後、大銀行や大企業がその生っ白い馬脚を現し、自滅していっています。

ただひとつ、五十年前と姿を変えていない国。

その国の扉がわずかに開かれたと、多くの人は言います。その向こうに見えたものを、信じることが出来ないと言う人もいます。信じるべきではないと言う人もいます。

横田めぐみさんは、私と同い年です。私の母も、彼女のおかあさんと同い年です。

ですから、私が過ごした十代、二十代、そして三十代も、彼女にとって当然あるべきものでした。

けれど、私は、彼女がそれを取り戻すために、何か努力をしてきたでしょうか。何事かを訴えてきたでしょうか。関心を持ってきたでしょうか。

いいえ。ただ安穏と日々を過ごし、遠いところで昔々に起こったよく分からない奇妙な事件、として済ませてきました。

外務省が腰砕けであったのなら、私もそうでした。私には、関心があったとは、とても言えない。私と同じ年の女性が奪われた人生に対して関心があったというふりは、とてもできない。

悲しいふりをする資格すらも、ありません。

これからは決してあんな事は起こらない、起こさない。その言葉を信じられないのと同じくらい、私はこれからの五十年が、これまでと同じ五十年であるということが、信じられない。

これからは、平和は偶然や幸運には助けられません。それこそ七転八倒の苦しみの中でなければ得られないものになりました。

そして、もしかしたら、八回立ち上がってもなお、再び打ちひしがれるかも知れない。

それに耐える力を、私は今、自分の中に信じる事が出来ないでいます。

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いかがでしたか。9月は、辛い。

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