六。

六といえば、すごろく。双六、と書きます。

二つの賽子を転がして、出た目の分だけ行ったり来たり。インド発祥のこの遊びは、西洋ではバックギャモンになり、日本では江戸の初期の頃から民間に広まり、中期頃からは著名な画家も双六を制作したりするようになりました。

定番としては、道中双六。出発点が江戸日本橋、終点は京都の三条大橋。

他にも物尽くし双六といって、季節の風物詩が順番に描かれたもの、動物が描かれた子供向けの物、それからたぶん、枕元で遊ぶちょっと色っぽい双六もあったことでしょう。

一昔前、ファミリーゲームと言えば人生ゲームのような双六のことをいいました。

友達の家に銀行強盗ゲームというのがあって、小さなトラックに宝石が一杯詰まったことになっているトランクをはめ込んで、強盗、つまり透き通ったトラックとかち合わないようにして、自分の銀行に全部トランクを運んだら勝ち、というのがありました。

その友達の家には他にもゲームのセットがたくさんあって、ピンを刺して絵柄を作っていき、出来あがったら後ろからライトを照らす、とか、大きな歯車の穴の中に鉛筆を突っ込んでグルグルやったら模様が出来る、とか、一通り全部遊ばせて貰いました。

ルール。

多分友達は、一緒に人形遊びをしたかったのでしょうが、私が人形には全く興味がないのをよく知っていましたから、人形遊びを無理強いはしませんでした。

その代わり私も、彼女が虫や魚などの生き物を嫌いで、綺麗好きなのを知っていましたから、裏の雑木林を探検するときや基地を掘るときや用水路で泥鰌を鷲掴みするときには、無理には誘いませんでした。

ですから、彼女と遊ぶときには、あやとりや折り紙、または室内ゲームで、すこぶる行儀良く遊んでいました。

そうやって行儀良くできる自分、というのも、別の自分のようでそれはそれで面白かった。室内の遊びには野外の探検よりも細かいルールが多くて、でも友達はそのルールを破るようなことは決してなく、ですから私も絶対に抜け駆けは出来ない、そんな緊張感を楽しんでいました。

外でも。

しかし、外の遊びにもルールがあります。

といっても、そんなに難しいルールではない。賽子が転がるわけでも、時間切れになったらバネが飛び出すわけでもない。

ただ、ゴミを捨てないとか火の始末をするとか、どうということのないルールがあるだけのことです。

それは、守るというレベルのルールですらない。

でも、ルールを破ることが楽しくて、それこそが遊びだと思いこんでしまった、それが遊ぶ者に許された自由なのだと思いこんでしまった人々は、はるか外国の山にバンバンゴミ捨てて、自然を愛する少年の心を持ち続けるのだそうです。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

いかがでしたか。双六作るのが好きだったなあ。永遠に上がれないやつ とか、作ったっけ。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

MENU

次へ
Copyright (C) 2002 shishow