炬燵



兄弟が八人、という人は、もうあまりいないだろう。そして、自分以外の兄弟全部が自分とは母親が違う、という状況も、昔ならままあったかもしれないが、今では七人の弟妹という事自体が珍しい。

江戸時代であれば、そういうことも起こりうる。女性が生涯に産む子供の数は今より遙かに多く、けれども出産によって命を落とす女性も今より遙かに多かった。 

だから、内藤丈草の母親も若くして命を落とし、しかし後に家に入った女性は壮健で、七人の子供を産んだ。

丈草は、じょうそう、と読む。松尾芭蕉の高弟の一人であった彼は、丈の高い草のように目立ったが、その人生は短いものだった。内藤家の長男として生まれた丈草は、尾張の国(現在の愛知県)の犬山の武士の家を継ぐはずだったが、出家して琵琶湖のほとりに小さな庵を構えた。

白粥の僧正。彼の呼び名である。病弱で、食もあまり太くなかった丈草の創る句は、こんな感じである。

     着てたてば 夜るのふすまも なかりけり

ふすま、というのは襖ではなくて寝間着のこと。一枚きりの布子で眠って起きる。起きたらまた寝る。

     かみこきて 寄ればいろりの はしり炭

紙子というのは、紙のように硬い生地の着物。暖かくはないだろう。だから囲炉裏に近づきすぎてしまい、弾けた炭が飛んできて、慌ててもみ消す。

     春雨や ぬけ出たまゝの 夜着(よぎ)の穴

春だし、雨も降っているので、昼近くまでうだうだ寝ていた。ついに便所を我慢しきれず、渋々起きて厠へ。戻ってみると、湿った夜着の穴が、抜け出たままの形で残っている。

     隙明や 蚤の出て行 耳の穴

隙で隙で、あんまりにも暇な宿主に蚤も呆れたのだろう、こそこそと耳の穴から出ていく。

だいたい、こんな感じである。

けれど、さすがに新鮮で絵画的な句には、他の追随を許さないものがある。

     幾人(いくたり)か しぐれかけぬく 勢田の橋

琵琶湖から流れ出すただ一つの河、瀬田川に架かる橋。唐風の大きな橋の上を、時雨にあった人々が足早に、しかしどこやら楽しげに、橋の板を鳴らしながら駈けていく。

こんな可愛いのもある。

     水底を 見て来た皃(かお)の 小鴨哉

ぷくん、と水に潜った小鴨が、狙った小魚を捕まえ損なったのか、ふん、ちょっと水の底を見物に行って来ただけさ、とすまし顔。

     我事と 鯲(どじょう)のにげし 根芹哉

冬の間に肥えて美味しくなった芹の根を引き抜こうとすると、慌てて泥鰌が逃げ出していった。なんだ、捕まえる気などなかったのに。そういえば泥鰌は、普段から驚いたような顔をしているな。

けれど、こんな句もある。

     血を分ケし 身とは思はず 蚊のにくさ

血を吸われたからには血を分け合った間柄である。いわば兄弟である。しかし蚊はぶんぶんとうるさくつきまとい、痒みと痛みを残す。

これは、半分だけ血を分けた兄弟を皮肉った句であると、取ろうと思えば、確かに取れる。血をかっきり半分分け合った兄弟というあたり、蚊は追って払ってもしつこくついて来るというあたり、数ばかり多くてうっとうしいというあたり。血、とはっきり書いてあるので、よけいにそう勘ぐってしまう。

けれど、さらに他の句も味わってみると、何だかそれは丈草の引っかけのような気もしてくる。

     草庵の 火燵の下や 古狸 

ああ、寒い寒い。炬燵に潜り込む。おや、炭もそろそろ切れる頃なのに、ぬくぬくと暖かい。まあいいか、もう春も近いのだ。・・おや、何か動くぞ。誰かいるのかな。そんなはずがない、私は一人暮らしだし。じゃあ、この中にいるのは誰だろう。やけに毛深いが。・・狸?

     守りゐる 火燵を菴(いお)の 本尊かな

足の冷えは体に応える。こうして炬燵を一日抱いているのが一番具合がいい。こうしていると、まるで信仰篤い僧が本尊を守っているように見えるかもしれない。そうではないのだが、ついでに御利益があってこの下腹の痛みが消えてなくなればいいのに。

     ほこほこと 朝日さしこむ 火燵かな 

あー、ぬくい。膝には炬燵、背中には朝日。あー、極楽。

     下京を めぐりて 火燵行脚かな

友人を訪ねて京は下京へやってくる。都会の暮らしは華やかで、炬燵に入る炭の香りも良い。蜜柑などたくさんよばれた。ふと、この近所にもう一人、友人がいたことを思いだした。炬燵に入りながら、生姜湯などよばれる。そういえば、ちょっと東山に向かって歩いた方にも、知り合いがいた。炬燵を腰にあてがいながら、暖かい蕎麦掻きなどよばれる。

万事、こんな具合だったのに違いない。

炬燵行脚。何ともちゃっかりしたおっさんである。このちゃっかりさ加減は、おそらくは生来のものだったろう。総領の甚六とは、よくもいったものである。

あの蚊の句以外は、きりぎりすや蛙、案山子に薬缶などが詠われている。身近くにあるもの、いつも手に取れるもの。その中の一つが、蚊だったのではないか。

どんな心境で書きましたか、とインタビューする人々をまさに蚊のようだと私も思っていたが、この句に出会い、そして他の句もあれこれ味わってみて、やっぱり訪ねてみたくなった。

それで、この蚊は、あなたの手で叩きつぶされてしまったのですか。

内藤丈草(1662~1704) 参考文献「蕉門名家句選」(下) 堀切実 編注 岩波文庫

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