鬼っ子


出来の悪い子ほど可愛い、という。けれど、出来が良すぎても可愛いものは、可愛い。

円山応挙、という画家がいた。

この名に覚えがなくても、美術の教科書に載っていた幽霊の掛け軸を見た覚えのある方は多いはずである。幽霊にしてはふっくらと色っぽい、足さえあるなら一夜を共にしてもいいと思えるような、あの掛け軸の作者である。

応挙には山ほど弟子がいた。彼は京都に住んでいたのだが、遠くて通えない弟子には画集を送ったり送らせたりして指導していた。今でいう通信教育である。

そういう弟子まで含めたら、何百という数になったであろう弟子の中で、破門された回数だったらまかせとけ、という弟子がいた。

長澤蘆雪。ながさわろせつ、という。

蘆雪の絵を目にする機会は、あまりない。戦後、外貨を稼ぐために海外に流されてしまったからである。応挙のように有名ではないし、直系の弟子もいない。

だが、五十年足らずの生涯であった割には、残した作品は多かった。多かったし、技量の点では師を越えているようなところがあった。

いや、越えている、というより、同じ画題でも内在する物が違うのだ。

例えば、「鯉」を応挙と蘆雪が描くとする。

応挙描くところの鯉。

綺麗に鱗が揃い、よく太って色白で、鰓もうっすらと紅に染まり、仲間と餌を奪い合うようなこともなく、豪邸の大きな池の中でのんびりと暮らしている。時々水面に訪れる、やんごとなき身分の女主人に愛想を振りまくこと以外に、一日特にすることもない。

対して、蘆雪描くところの鯉。

鱗など揃っていようはずもない。流れの荒い河に棲んでいるからあちこちぶつけるし、何より縄張り争いが絶えない。鰭は破れてすっかりギザギザになっているが、自分では結構気に入っている。

腹が減ったら水面すれすれに飛んでいる雀を飛びついて捕らえることもあるし、銛をかざして追ってくる人間に噛みついたことさえある。身は黒く締まって、目ばかりがやけに大きい。

蘆雪は、野生の鯉を描く。

彼は、淀川の警備を行う水夫の家に育った。今の京都と大阪の境、今は大きな競馬場になっているが、その昔は一面の芦原だった。

蘆雪の蘆は、芦という意味である。芦に積もる雪。何とも風流だが、本人は恐ろしく気が荒く、他の弟子と喧嘩ばかりしていたという。けれど応挙には最後まで可愛がられた。

応挙と、そして蘆雪にとっても最晩年の作品となった襖絵が、但馬、現在の兵庫県北部の寺にある。応挙の絵は本堂に、蘆雪の絵は北の端の二階にある。

ああ隅に追いやられた、のではない。北の間にふさわしく、波頭砕ける岩に群れて牙をむく猿を、蘆雪は描いた。

何故に山の中に棲む猿がこんな海の近くに現れたのか。猿はすべて年老い、痩せて見える。何に追われたのか、何を恐れたのか、何から逃げているのか。

蘆雪は、野生の猿を描く。

野生に満ちた生き物達は、けれどやけに人間臭い。彼らを追いつめるのは、厳しい自然ではなく、人の世のしがらみ。立身出世、文武両道、家内安全。

武士の家に生まれた蘆雪は、けれど武道で身を立てることはなかった。すでに世は天下泰平。人の首を取って出世する時代は終わった。それなら何で身を立てるか。袖の下、ごますり、お追従。どれもできなければどうするか。畑でも耕すか商売でも始めるか。けれど、どちらにもそれ相応の元手がいる。

ならば、どうするか。

絵を売って身を立てる。

武士をしていても、おそらく生涯決してうだつはあがらない。

蘆雪と最も激しく対立したといわれる弟子の一人、松村呉春、まつむらごしゅんは、同じく武士であった。けれど武士の中にもいろいろあって、呉春は金座に関わる家に生まれた。今でいえば日本銀行名古屋支店店長、対して蘆雪は地方公務員中堅管理職。

呉春の絵は、その寺では応挙に寄り添い、華やかに咲き開いている。風雅を知る家に生まれ、造り酒屋の豪商達とも交流のあった呉春の名は、今も酒の名前に残っている。

けれど、師から遠く離れているように見える蘆雪は、実は最もよく理解されていた。応挙はおそらく、蘆雪の中に自分にはない光を見たのだ。

野生の生き物の、けれどそれは確かに人の、生命そのものが燃えるような光。

その光は、白と黒で描かれた猿を浮かび上がらせる。あるいは黒と白の。その光は人の命を削り、心も削る。

そのような光を、応挙はおそらく憧れの気持ちを持って見たのだ。

但馬の大きな農家から京に出てきた応挙が持っていた光も、おそらく平凡ではなかっただろう。人の持つ光を理解する力を、誰もが持つわけではない。持とうと思って持てる光では、それはない。

その光の下に立ち、そしてできた影を見ることの出来た者は、幸せであると思う。影を捕まえようとして踊ることも、時には必要だと思う。己の本当の姿を知るために。

円山応挙(1733~1795) 長澤蘆雪(1754~1799) 松村呉春(1752~1811)

おしながきへ。

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