内閣が再編成されて、橋本龍太郎氏が入閣した。彼は女性に人気があるのかと思っていたら、男性にもあって、内閣の中でもっとも期待する人物に選ばれていたりする。

私も、少し前に、こんなコラムを書いていた。


カーネーション

有名な作曲家が亡くなった。有名だったと、新聞やテレビが言っていた。けれど、どのくらい、どのように有名だったかを教えてくれたのは、彼だった。

彼は、こんな話をしてくれた。

彼の父親は、戦争を知る世代の人だった。ある日、ラジオから、その作曲家の作った曲が流れてきた。この世の果てより寒い土地に戒められた人々の、望郷の念を歌った歌。

その途端、父親の目から、涙がとうとうとあふれ出た。一家は食事中で、だから父親は茶碗を左手に、箸を右手に持ったまま、黙って泣いていた。

彼は、とても驚いた。父親が泣くこと自体をろくに見たことがなかったし、ラジオから流れてくる音楽を聴いただけでこんな風に我を忘れて泣く人がいるということに、とても驚いたのだった。

彼は、戦争を知らない。

そして、知らないということに劣等感も持たない代わり、知っている世代を理解してみせるふりもしない。父の涙から戦争を知った、などという軽薄な言い回しも好まない。

ただ、純粋に、驚いた。

そして、知らない戦争のことについて、耳で聞いたことしかない、本で読んだことしかない戦争について、彼なりの思いを馳せた。知らないことは、想像するしかない。想像したからといって、それが体験になり得るわけでもない。

けれど彼は、知らないということを隠さなかった。知らないことから逃げなかった。

戦争を知らないということを、彼ほど率直に述べた人を、私は知らない。

戦後生まれで 実際には戦争体験もない癖に、やたらと昔はこうだったああだったを振りかざす大人なら、いくらでもいる。戦争を知っているからこそ人生の価値を知っているのだと言いながら、冷蔵庫の野菜を腐らせても弁当のおかずを残しても平気な大人なら、いくらでもいる。人生の価値を知っているからこそ自然を愛することができるのだと言いながら、そこら中にゴミを捨てて平気な大人なら、いくらでもいる。

何事かを知っている、という者達が、本当に何事かを知っていたという試しは、あまりない。

ことに前の戦争の場合、ほとんどの日本人は、本当のことは何も知らされずに来た。そしてそのまま何も知らずに生きている。庶民にとって、戦争が何であったかということは何の意味もない。それを知ったからと言って、後の生活には何の影響もない。

けれど、戦争体験者であったことは、言っておかなければならない。昔は大変だった、昔の人は苦労した、昔の人は偉かった。戦争があったら。

それはとりあえず、言っておかなければならない。決して、私は実はそれを知らない、分からない、何も知らされなかった、という勇気はない。それを言ってしまった途端、苦労知らずの年金泥棒に成り下がってしまうのだと思っている。

だが実は、知らない、と言える者が、知っていたりする。知らないという自覚に基づいて、それが何であるか、何であったかを考えていたりする。

体験したことと、知っていることとは違う。

彼が、そのような考えでもってあの話をしたとは思えない。けれど、知らないと言う勇気を持った年上の日本人、しかも彼のような地位にあってそれをした日本人を、私は生まれて初めて見た。

彼は、こんな話もしてくれた。

母の日にはお母さんにカーネーションを贈る。けれど、どうしてお母さんを亡くした子供は白いカーネーションでなければならないのだろう。自分で選べるならいい、お母さんは白が好きだったから、というならいい。

けれどどうして、亡くなったお母さんには白しかないのだろう。まるで悲しみに追い打ちをかけるような、白、でなければならないのだろう。何故、華やかな赤、優しいピンクであってはいけないのだろう。

ナイフで人を傷つける少年が急増したときも、そうだった。彼は自分が少年の頃に鉛筆を削るためにいつも持ち歩いていた、人の名前の付いたナイフのことを話してくれた。それは決して友達を傷つけるための物ではなかった。切れやすいようにピカピカに研いではあっても、それは鉛筆を綺麗に尖らせるためであって、決して人を脅すためではなかった。

彼は、官僚が準備した原稿ではなく、自分の言葉で話したこともあった。リハビリに励んでいる、実の父の話。原稿を読むだけ、時間を潰すだけのご高説より、遙かに心のこもった、意味深いものであったに違いない。たとえそれが、彼の立場にふさわしからぬ、極めて私的な話であったとしても。

彼は、昔話をしない。今生きている、心臓の動いている、自分の体から出てきた言葉で話そうとする。その言葉には、確かに、血が通っていた。

彼は、ついこの間まで総理大臣をしていて、けれどすぐに辞めてしまって、この頃は彼の話を聞くことはあまりなくなった。

彼は、孤独な政治家であったという。根回しもあまり巧くなかった。

だから、彼が首相だった頃、政治的な大きな動きが何だったか、全く思い出せない。彼の話はよく覚えているというのに。

政治家として彼がどうだったか、実はあまり興味がない。彼がそれはそれは深く愛していたのだろう政党は、いろんなところとくっついたり離れたり、分かれたりまた混じったり、何が元の形だったのか、よく分からなくなってしまった。今彼がどの名前の政党に属しているのかも、実はよく知らない。

けれど彼のような政治家がいたことは、そう悪いことではなかったと思う。

そして彼が何を愛し続けるのかも、想像に難くない。


実は、こんなにも早く彼の話をまた聞けるようになるとは思わなかった。

物静かな、けれど感情をあらわにすることを恐れない、強く美しい彼の言葉に、耳を澄ませてみようと思う。

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